三國万里子(ニットデザイナー)

1971年、新潟県生まれ。早稲田大学 第一文学部仏文科卒業。編み物の書籍や雑誌での作品発表に加え、キットやプロダクトのデザインを手がける。著書多数。2019年冬に、株式会社ほぼ日よりニットの新刊を発売予定。

病気の日々が私の考え方を変えた。三國万里子さんはそう語ります。

数年前に全身性のアトピー性皮膚炎になったことがありました。
症状があれよあれよという間に広がり、服から出ているところが全部、ちょっとびっくりするような見た目になりました。鏡を見ながら「こりゃ、ホラーの特殊メイクだわ」と呆然とするような痛々しさです。
この病気はいつ治るのかわからないし、そもそも治るという保証もありません。ごはん時に家族三人でテーブルを囲むと、当時まだ子どもだった息子がわたしの顔を見て、不安そうに訊くのです。
「お母さん、これはいつか治るの?」
わたしは「治るよ、でも少し時間がかかるけどね」と答えていました。そう信じるしかなかった、ということもあります。わたしがめそめそしていたら、家中が暗くなってしまうでしょうし、それはいやでした。
だから何はともあれ楽観的になって、できることをしようと決めました。

いい言葉や仲間に支えられながら……

グッドタイミングというのでしょうか、その頃読んでいた本の中でいい言葉に出合いました。
「漁師は漁に出られないときは、網を繕うのだ」
その通りだ、と思いました。顔と手が真っ赤に腫れていて、外で人と会うのはちょっと無理。でも家でなんとか仕事(ニットのデザインです)はできるし、手袋をはめれば家事も、そろりそろりとならできる。
インターネットで病気について調べたり、本を読んで知識を得ることもできる。映画を観て笑ったり泣いたりもできる。ご飯はおいしいし、家にやってくる野良猫はかわいく、春が巡ってくればウキウキする
けろっとしていつも通りに生きるわたしを見て、夫がほめてくれました。「見た目がえらいことになってるのに、暗くもならず、大したもんだ」って。
とはいっても、弱ったなあ、と思うこともやはりありました。宅配便の人が来ると、わたしのすごい顔でびっくりさせないように、マスクをかけて、完全防備をしてからドアを開けるのです。
症状が一番進んだ頃には、まぶたが腫れて片目が開かなくなり、何をするにももう片方の目でこなしていました。編みものというのは細かい仕事で、そういう状態でやるとしばしば間違うこともあり、我ながら情けなかったです。
でもしょんぼりしていても仕方がない。「今日一日を生きれば、一日分健康になるさ」と思うことにして、ままならないあれこれをやり過ごしていました。
当時わたしは編みものの本を作っていたのですが、チームのみんなと顔を突き合わせて作業できないことで、随分不便をかけたと思います。それでも仲間には「三國さんのできるペースで進めていきましょう。焦らないで、養生第一で!」と言ってもらっていました。
その言葉に甘えて少しずつ、できる範囲で仕事を進められたのは、本当にありがたかったです。

ささやかなことに「まる」をつける

夫が優しかったことも大きな救いでした。仕事から帰ると家事を手伝ってくれましたし、一日の終わりには(笑っちゃうのですが)「母ちゃん、かわいいぞ」と言ってくれるのです。
びっくりするようなご面相になっているのだし、それが本当でないことはわかっています。でも励ましてくれる気持ちがうれしく、シュールな冗談だなあ、でもありがとう、と礼を言っていました。
わたしは病気をする前までは「努力すれば大抵のことはできるもの。それが当たり前」と思っていました。小さなことを気にして「減点方式」で生きていた気がします。
でも病気になり、ままならないことって確かにあるということを知りました。体という自然は、自分のエゴとはまた違ったところで動いていますからね。
そういう状態でも「今日もなんとかなった。ならば、それでよし」と、そのことにとりあえず「まる」をつけられるようになりました。
機嫌よく生きるって、もしかしたら「加点方式」で生きることなのかも、という気がします。わたし自身がそういう心の持ち方ができるようになったのも、あの日々があればこそでした。
二年かかって症状は消えましたが、治った今もささやかなことに「まる」をつけながら、日々を味わって暮らしています