天花寺さやか(てんげいじさやか)
小説家。京都府生まれ。小説投稿サイト「エブリスタ」で発表した「京都しんぶつ幻想記」が好評を博し、2018年、同作品を加筆・改題した『京都府警あやかし課の事件簿』(PHP文芸文庫)でデビュー。'19年、第7回京都本大賞受賞。
落ち込んだ時、天花寺さやかさんは二つの存在を思い出すそうです。
現在の私は、育児と執筆とを並行で行なっており、両立という言葉がハリボテに見えるほど、七転八倒で何とかやりくりしています(笑)。
やはり子供が最優先なので、生活の中心は育児。それが子供の癇癪などで手こずれば、心身ともにクタクタで執筆時間の確保が難しい。夫など家族の協力を得ても限界があり、一度、筆の調子がいい時に育児に手を取られ、いざ原稿に向かうと、時遅しというように「その時」が消えていたことがあります。
さすがに、この時ばかりは落ち込みました。
子供は確かに可愛く、自分の命よりも大切です。子供との生活も基本的には楽しいです。
けれど、育児で執筆が思うようにいかないと原稿が遅れていることに焦り、いいアイデアや文章が出ないことに焦り、ようやく叶えた夢が停滞している気さえして、自己嫌悪に陥っている時があります。
その時、私は二つの存在を思い出すのです。
一つ目が、元三洋電機の副社長・故後藤清一氏のもので、広く知られている言葉。
「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」
もう一つは、まさにその言葉の体現者である「京都」。先の名言をいつも心の中で唱え、京都を思い出しています。
この名言を頭に浮かべると、「今は根を張ればいいだけ。無理に結果を求める必要はない」と思えます。
そんな気持ちで原稿に向かい、とにかく一文字一文字を丁寧に書くと、不思議と上手くいくのです。納得のいく文章や小説の展開が生み出せて、それらが根となり、やがて大輪の花のような、一つの物語が完成します。
その原稿を見直した時、私はいつも、頑張って根を張ったからだと実感し、救われた気持ちになるのです。
「京都」を築き上げた人々の力
こういう根を張る大切さを学んだ後、「京都」という存在が、私をさらに立ち上がらせてくれます。
京都は、今でこそ大変賑やかで、魅力も多い町です。しかし、そんな「京都」も、芽さえ凍るような冬の時代がたくさんあったそうです。
千年以上前から政治の中心地だっただけに、京都は戦の舞台となりがちでした。応仁の乱で京都が焼け野原となったのは、いまだに語り継がれる話です。鴨川の氾濫による洪水や地震、延焼に延焼を重ねた大規模火災などもありました。幕末では再び争乱の舞台となり、明治維新で天皇が東京へ移った時は、一時は狐狸の住む場所と言われるほど、鄙びた状態になったそうです。
これらが起こるたびに、京の町は経済的にも文化的にも打撃を受けました。当時の人々は、相当に悲しい思いをされていたと思います。まさに冬の時代です。
それでも、人々は京都を捨てず、京都で生き、立ち上がってきました。
具体的な例を挙げると、平成二十六年に復興した祇園祭の大船鉾は、幕末の禁門の変で焼失して以来、お囃子の復興、巡行への復帰など少しずつ甦らせてゆき、完全復興まで百五十年もの歳月がかけられました。
それらは名もなき人達による、歴史書には残らないだろう努力です。でも私は、ここに京都人の、不撓不屈の精神を感じます。
「焦ったらあかんえ」
復興や繁栄は、決して一日で出来ることではありません。皆が一日一歩ずつ、それこそ生涯をかけて根を張ってくれたお陰で、「京都」があるのだと思います。
だから私がせっかちになった時、名もなき先人のお声が、心の中に浮かぶのです。
「焦ったらあかんえ。何事も、時間をかけてやるもんやさかいに」
「しんどいのも分かるけど、こんなところで諦めるんは格好悪いなぁ」
「もうあかんと思っても、長い人生。││おきばりやす」
柔らかな京都弁の中に宿る、冬に負けない強さ。それに触れた時、私は長い時間をかけてでも花が咲く日まで頑張ろうと、歩き出すことが出来るのです。