第六十回PHP賞受賞作

真境名法子
東京都品川区・地方公務員・五十六歳

離婚した。何もない私に、二人の幼い子どもと、残高がわずかな銀行口座、そして、三カ月分の未払い家賃の催促状が残った。
かれこれ三十年近く前のことだ。
離婚する前から、夫は家を出て、別の女性と暮らしていた。夫婦関係はとうに破綻していたから、彼に対する未練はなく、離婚届を提出した帰り道の清々しさったらなかった。
私の最大の不安は、収入だった。
当時勤務していた会社は、情報処理関係の下請け会社。バブル崩壊後の不況の足音が近づいてくるなか、突然のボーナスカットが行なわれ、私の頭のなかは、これからの生活への不安でいっぱいだった。
そんな折、近くに住む妹が「区の掲示板に職員募集の張り紙があった」と教えてくれた。
安定した収入が得られる仕事に就きたいと、私が日頃から口にしていたのを覚えていてくれたのだ。
さっそく詳細を確認したところ、翌日が募集の締め切り日だった。ちょうど会社の創業記念日で、仕事は休み。これは応募するしかないと思った。
翌日、次男を連れて、区役所に向かった。
今とは違い、ウェブ応募などない時代である。駅の近くで証明写真を撮り、区役所の待ち合いスペースで履歴書を書いた。閑散とした場所で必死に履歴書を書く私を見て、次男が居心地悪そうに言った。
「おかあさん、ここでお手紙書いてもいいの?」
「いいのいいの。人生かかってるんだから」
「ふうーん」
彼は、わかったのかわからなかったのか、それでもおとなしく待っていた。
いざ履歴書を提出する段になって、「子連れでよかったのかな?」と不安になった。けれど、次男を待たせておく場所もなく、一緒に人事課の窓口に行った。

心身ともにへとへとな生活

その後、筆記試験と体力検査、面接を経て、無事に、区の職員として保育園の給食調理員に採用された。
これまでは、パソコンの前にひたすら座って仕事をしていたのに、いきなりの立ち仕事。
さらに、乳幼児の食事づくりは重責を伴う。
毎日、心身ともにへとへとになった。
家に帰ってから自分たち家族の食事をつくる体力がなく、コンビニ弁当やレトルトカレーで済ませることもあった。
夏が近づいたある日、子ども二人が立て続けに風邪をひいた。土日と合わせて三日間の連休を取ったが、連休明けの出勤は、申し訳なさもあり、気が重かった。
朝の忙しい時間が過ぎ、先輩職員と並んで山のような洗い物をしているときのことだ。
その職員は今の私くらい、五十代のベテランで、薄焼き卵をそれは見事に焼く人だった。
洗い物を片づけながら、彼女が言った。
「子どもが小さいと、急な休みもあるだろ」
「はい、どうもすみません」
「いいんだよ。あたしだって、娘が小さいときは、やれ水疱瘡だ、おたふくだって、何度も休んだから。だから、順繰り」

「あんたが協力してやりな」

「順繰り......?」
私は、ぽかんとした顔で尋ねた。
「そうだよ。いつか、あんたの子どもが大きくなって、親の手がかからなくなったときにさ、同僚に子育てで手いっぱいの人がいたら、そのときは、あんたが協力してやりな、ってことだよ」
「はい」
「そのときにね、こんなに忙しいのにとか、勝手なことは言うんじゃないよ」
「はい。ありがとうございます」
洗い物の湯気に当たりながら、涙がにじんだ。実は、慣れない仕事と子育ての両立が辛くて、毎日のように仕事を辞めたいと思っていたときだったのだ。
私は、彼女の言葉に救われた。
今では、子どもたちも大きくなった。大きいどころか、いい歳だ。私はその後、区役所内で転職し、福祉の仕事に就いて長い。
福祉の仕事はいいもので、自分の人生の辛かったことが役に立つ。家賃は毎月払えるし、子どもたちを大学へやることもできた。
同僚にも恵まれ、楽しい職場だ。なかには、幼い子どもをもつ同僚もいる。最近は新型コロナウイルスの影響で、学校や保育園が休みになることも少なくない。時代が変わっても、子どもを育てるというのは大変なことだ。
二人の子どもを家で見なければならず、仕事を急に休むことになった同僚が、申し訳なさそうに言う。
「忙しいのに、ごめんなさい」
私は胸を張って、こう答えるのだ。
「いいのよ。順繰り、順繰り」