「同性婚」や「選択的夫婦別姓」の訴訟を手掛ける弁護士の寺原真希子さんに、原動力と信念をお聞きしました。

結婚の平等を実現するその日まで。その源には、揺るぎない信念がありました。

表参道駅から徒歩10秒。そんな立地のビルの2階に寺原さんの事務所はあった。取材場所となる応接室に入ると、壁にかけられた色彩豊かな3枚のポスターが目を引く。2019年に参加したニューヨークのLGBTパレード(プライド・パレード)の現場で配布されていたグラフィック作品だという。

「今日はよろしくお願いします」

応接室に現れた寺原さんは、真っ白なスーツに身を包んでいる。弁護士というと堅苦しい人物を思い浮かべるが、さにあらず。第一印象はどんな悩みでも聞いてくれるカウンセラーのようだ。

しかし、話し出せば、口調によどみはなく、こみいった訴訟の説明もロジカルでわかりやすい。話を聞いていると、いつの間にか「心強い」と思わずにはいられない、そんな安心感がある。

寺原さんは企業法務や民事事件を手がけるかたわら、性的マイノリティの人権擁護にも精力的に活動している弁護士だ。近年メディアでもひんぱんに取り上げられる「同性婚」や「選択的夫婦別姓」の訴訟でも、弁護団の代表などとして最前線で奮闘している。

子どものころはおてんばで、宮崎県の田舎で木登りやザリガニ獲りをして遊んでいたという寺原さん。弁護士という職業を最初に意識したのは小学生のとき。端緒は家庭環境にあった。

「物心ついたころから父が母に暴力をふるっていました。だけど私は無力で、高校を卒業するまで、母のために何もできませんでした」 当時はまだDV防止法もなく、口にするのは「家の恥」という感覚が根強かった。親戚にすら話せなかった。

「母は離婚したがっていたけれど、経済力がなくて、離婚できなかったんですね。それで 常々、『精神的自立は経済的自立から』と言い聞かされていました。だから自分もいざというときに自由な判断ができるよう、手に職をつけようと思って。それで弁護士か医者を考えるようになりました」

地元の進学校は理系が強く、大学もそのまま理系に進んだ。解剖も好きだし、このまま医者になるのもいいかもしれない。そう思うこともあったが、それでも、母親のことが頭から離れなかった。

「弁護士になって、母と同じ境遇にある女性たちを助けたい。やはりそういう思いが強くなっていったんです。それで3年から法学部に転部しました」

方向が決まれば、もう迷いはない。当時合格率3パーセント以下だった司法試験に見事合格し、晴れて弁護士としてのキャリアをスタートさせた。ここから怒涛の修業時代が幕をあける。

最初に勤めたのは、国内最大手の渉外事務所。担当するのは有名企業の合併や買収の案件。先輩とともに契約書を作成し、交渉の場に立ち会った。帰宅は連日深夜すぎ。事務所内で資料を読みあさった。激務だったが、やりがいがあった。担当した案件が新聞にのることもめずらしくなかった。

社会人としてのマナーは実地で学んだ。

「その事務所では、新人一人ひとりにベテランの弁護士がついて教えるパートナー制度があったんです。電話の応対一つでも『さっきは〈すいません〉が多かったよ』と教えてくれたり、メールを送る前に一字一句チェックしてくれたり。きたえられましたね」

尊敬できる先輩たちとの出会い

尊敬できる先輩も見つかった。一人は頭が切れる、優秀な弁護士として。

「大きな交渉が終わったあと、相手側のクライアントの重役が私の先輩弁護士のところに来て、『すばらしい交渉でした。次回はぜひ先生にお願いしたいです』と耳打ちしたんです。これぐらいじゃないとダメだなと思いましたね」

もう一人は、人権意識の高いヴィジョナリーとして。

「その先輩弁護士は、企業がどれくらい人権に配慮して活動しているかを測る項目を作って、それを満たした会社の依頼しか受けないようにしたい、と言っていました。最大手の事務所がそうすれば、企業の意識も変わるし、中小の法律事務所も追随するだろうって」

当時の日本に、企業の社会的責任(CSR)という発想はまだなかった。

「SDGsという言葉が誕生する10年以上も前のことです。衝撃でした」

3年後、寺原さんは少人数の事務所に移る。 もともと関心があった一般の民事事件を手がけられることが決め手となった。離婚から医療過誤、交通事故から労働問題まで。幅広い事件を担当し、クライアントとより近い立場での弁護を学んだ。

一つの案件をチームで担当していた前の事務所とは違い、すべてを自分で回す。プロジェクトの全体像を把握するのは大変でも、それが新たなやりがいとなった。なにより独立には不可欠なスキルだった。

独立はかねてから見すえていた。5年間で企業法務から民事事件まで、一通り経験は積んだ。それでも、「まだやっていないこと」があった。寺原さんはニューヨークへの自費留学を決める。独立してクライアントがつけば、そう簡単に長期休暇は取れない。最後のチャンスだった。

「会社法も知的財産権も、議論が進んでいるんですよ。アメリカで議論されたことが数年経って日本に『輸入』される。だから、向こうで勉強すれば勘どころがつかめるし、視野が広がると思ったんです」

弁護士として必要なすべてを学びたい

留学中は法律の知識だけでなく、ディスカッション上の話術も学んだ。

「クラスメイトはみんな主張が強くて、最初はおどろきました。でもよくよく内容を聞いてみると、結論が定まっていなくても発言しているんですね。しゃべりながら自分の考えを練っていく。話し方や議論に入るタイミング、大勢が話している場の主導権をいかに握るかを知れたのが、いちばん大きな学びだったかもしれません」

帰国後はいよいよ独立。かと思いきや、まだやり残していたことがあった。企業の法務部に所属する、企業内弁護士だ。当時はまだ人数も少なく、弁護士のあいだでは邪道ともされていた。

それでも「企業側の論理」を知ることに意義があると確信し、外資系証券会社に飛びこんだ。

「企業の中で何が重視され、どう意思決定されるのか。外部との窓口となる担当者が企業に持ち帰ったあと、どうチームを説得するのか。そういうことがわかっていないと、本当のニーズは汲み上げられないし、踏みこんだ提案もできないと思ったんです」

二年間、社内の別チームから提案される新しいビジネススキームが法的に問題がないかチェックする金融法務を担当した。そのあいだに第一子も出産した。

その後、2010年に満を持して独立。一足早く独立していた夫の事務所に合流した。まだ小さい子供を夫婦で育てながら、目の前の仕事に全力をそそいだ。

翌年、寺原さんは人生を変える大きな出会いを迎える。選択的夫婦別姓の弁護団に入り、「両性の平等に関する委員会」(その後「性の平等に関する委員会」に改称)の活動を始めたばかりのころだった。あるゲイ男性の弁護士の一言にハッとさせられた。

「『両性』と言うけど、性って男と女というだけの話じゃないんだよ」

これまでも女性問題には積極的にかかわってきた。けれど女性と同じように、自分らしく生きられない性的マイノリティの存在には思いいたっていなかった。盲点だった。

「稲妻に打たれたような感じでしたね。それで、その方を委員会に招いて、性の多様性や性的マイノリティが社会生活の中で直面する苦悩について話を聞きました」

同性婚は私たちの誰もが関係あること

聞けば聞くほど、自分がいかに無知で無関心だったか、痛感させられた。これではいけない。すぐさま委員会内にLGBT問題を扱うプロジェクトチームを立ち上げ、当事者や学者を招いて勉強会を開いた。

2012年には全国初となる弁護士会での性的マイノリティをテーマにしたシンポジウムを開催。性的マイノリティに対する弁護士たちの現状認識を改めさせる大きな契機となった。

熱意は今でも変わらない。現在、寺原さんが特に力をそそいでいるのが「同性婚訴訟」と「選択的夫婦別姓訴訟」だ。弁護団の一メンバーとしてかかわり、全業務時間の8割がたをこの2つの活動に割いている。いずれも無償だという。

同性婚は、海外に目を向ければ、30の国と地域で法制化されている。G7で同性カップルを法的に保障していないのは日本だけ。 親権や配偶者控除がないなどの不利益があり、それは地方自治体の「パートナーシップ制度」で補完できるものではない。

しかし、いちばん重要な点はほかにあると 「同性婚は、尊厳の問題だと思っています。 実際に存在しているのに、家族として認められない。それはつまり、社会的に承認されていない、人としてきちんと扱われていないのと同じです。将来をイメージできずに自殺してしまう方もいます。個人の尊厳を認めずして『二人で生きていけるんだからいいでしょう』というのはまったくおかしい。人権の侵害です。」

熱心に取り組むのは、同性婚は性的マイノリティだけの問題ではないという意識があるからでもある。 「今同性婚が認められていないのは、性的マジョリティが無関心で、差別を放置してきてしまったから。だからこれは私を含む性的マジョリティの責任なんです」

現在、同性婚訴訟は東京、大阪、札幌、名古屋、福岡の5地裁で裁判が進んでいて、寺原さんは東京弁護団の共同代表を務めている。さらに、世論喚起のために2019年に公益社団法人Marriage For All Japan を立ち上げた。

「本来、人権侵害であれば、世論がどうあれ違憲判決を出すのが司法の役目です。でも実際は、最高裁も世の中をうかがって判断しています。なので、提訴と並行して、世論を盛り上げることもやっていかないといけないんです」

日本の歴史において最高裁で違憲判決を勝ち取ったケースは10回しかない。それでも勝てるという確信が寺原さんにはある。

「明らかな人権侵害ですから。アメリカでも台湾でも、裁判所が違憲と判断して、同性婚が認められました。日本でも時間の問題だと思います。でも、先日も原告の男性が一人亡くなってしまいました。一日でも早く法制化したい」

弁護団として参加している選択的夫婦別姓訴訟は、第二次提訴するも2021年6月に 最高裁で合憲と判断され、負けを喫した。

しかし、あきらめるつもりは微塵もない。 すでに第三次の訴訟案を練っているという。二度負けてもなお、心折れずに次のアクションに向けて邁進する。寺原さんのその原動力はどこから湧いてくるのだろうか。

「同性婚も選択的夫婦別姓も、国会や裁判所が認めていないだけで、人権侵害であることは間違いないんです。そこには絶対的な自信があります」 それに、と寺原さんは言葉を続けた。

「私はまだ日本という国を信じています。 だから、司法もあきらめたくないし、国会もあきらめたくない。日本という国をあきらめたくないんです」

取材・文:平岩壮悟

写真:宇壽山貴久子

※本稿は、月刊誌「PHP」2022年4月号掲載記事を転載したものです。

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