第64回PHP賞受賞作

有友紗哉香
岡山県・アルバイト・40歳

「学級会の最中に、本を読むのはやめてください!」
毎年、学級委員に選出される男子の声が響く。彼は勉強も得意。スポーツも万能。そして正義感が強い。仮の名前をナカノ君としよう。ナカノ君はますます白熱する。
「アリトモさん、今はみんなで話す時間です。読書は家に帰ってからにしましょう」
名指しされても、私は顔をあげない。別に小説の続きが気になるわけではないが、優等生が優等生らしく正論をふりかざすほど、私はもっと頑なにうつむく。ほかの生徒たちも口々に、私の態度を責め始める。 日ごろ私がどれだけ運動会や文化祭に非協力的であり、クラスの活動をおろそかにしているか。掃除や給食当番をまともにしていないかなど、〈アリトモさん〉に対する鬱憤が爆発した。私はさらに深くうつむく。いっそ〈アリトモさん〉でない誰かになれたらと願うが、もちろん不可能である。
私は、勉強もダメなら体育や工作、楽器など、学校で習うものがことごとく苦手だ。
名前を書き忘れたプリントを落とすと、「おい、男子、誰か忘れとるぞ。まあ、こんなに汚い字だと、女子なわけないよなあ」と先生が苦笑いをしていた。折鶴をつくると、羽の内側の白い裏紙が見えて、首や背まで皺だらけ。「アリトモが鶴を折ると、鶴も年寄りになるなあ」と笑われる始末。
みんな一斉にスタートして、なぜいつも自分だけが、かけ離れて遅れるのか。「がんばったらできるのに、努力をしないからよ」と、大人たちの猫なで声を聞くのは、「お前、ばかだな」と言われる何倍もきつい。折り鶴が皺々なのは、間違がえるたびに何度も折り直したから。つまり、努力の結果なのに......。 私は人が2、3回やればコツをつかめるものを、10、20と回数を重ねると、人の10分の1ほどならばできないこともない。私が一生懸命にABCを覚えているとき、ほかの人は動詞やbe動詞を知り、関係代名詞を理解できるようになるだけのことだ。
うさぎと亀の勝負ならまだしも、象と蟻が「よーいドン」と走り出し、どちらが先にゴールするか。それを〈努力〉と〈根性〉だけで乗り切るのは無理がある。そんな状況だから、私は、叱られること、あきれられることに、すっかり慣れていた。辛辣なことを言われても、ポーカーフェイスで開き直っている。

先生が発したひと言

ところが学級会のとき、先生は本を読んでいた私でなく、ナカノ君に「いい加減にしなさい」と注意した。クラス一同、「先生、違います。アリトモさんが勝手なことをするから、ナカノ君が困っています」と大騒動になった。
そもそも学級会が開かれた理由は〈クラス全員が一丸となり、ダンスの練習をしているときに、アリトモが足を引っ張るから〉だった。しかし、先生は「みなさん、考えてみてください。もし自分がアリトモさんの立場だったら」と全体に向かって静かに問いかけた。
一瞬の沈黙のあと、「一生懸命に練習して、みんなに遅れないようにします」。女子バレー部のエースが答えた。「そうだ、そうだ」と盛り上がる中、再び先生が話し始めた。
「ナカノ君は、今こうして多くの人が肩を持ってくれます。かばってくれたり、助けてくれたりする人が、彼にはたくさんいますね。一方、アリトモさんはどうでしょう? この教室でナカノ君でなく、アリトモさんをフォローした人が一人でもいましたか?」
今度は別の生徒が「先生、それは本人の責任です。みんなで話し合いをするときに、勝手な行動をとる人を、どうしてフォローしないといけないんですか?」と発言した。
「そうでなくても苦手なものを克服するのは誰だって難しいのに、全員から責められてアリトモさんは『体育祭までに、がんばってダンスを覚えよう』と思えますか?」
先生が発したこのひと言により、私は置かれた状況を初めて客観的に理解できた。

みんなが見ている世界との落差

今なら、「私だけ振付を覚えられなくてごめんなさい。私は言われた動きをすぐに再現できない。どうしても時間がかかる」と伝えられるが、当時は次々に来る苦手なものとどう向き合えばいいかわからず、パニックになるばかりだった。さらに「努力しだい」「やる気がない」など、見当違いの精神論を押しつけられて途方に暮れていた。自分の見ている世界とまわりが認識している現実に、かなり落差があることにさえ気づいていなかった。
あのときナカノ君は顔を真っ赤にして一生懸命堪えていた。正しさを、正しく評価されるとは限らないと知った秀才の顔を、私は当事者ながらに直視できなかった。
あれからまもなく30年。私は相変わらず不器用な生き方をしている。

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