第65回PHP賞受賞作

小松崎 潤
埼玉県・会社員・39歳

どこに行くかわからない息子を今日も案じる。あれは就学前検診。6歳さいになる息子にADHDの診断がくだった。とにかくじっとしていられず、イスに5分も座っていられない。

思えば、幼稚園のおゆうぎ会のときもそうだった。勝手に舞台から外へ行き、私は必死に連れ戻した。

「あなたもそうだったのよ。運動会のときなんかコースアウトして車道に出ちゃったんだから」

なつかしそうに母が話す。だが息子のこととなれば話は別。このままいったら息子はどんな大人になってしまうのだろう。はたして治るのか。それとも受け入れるしかないか。考えたらキリがない。

そんな不安を抱たまま、息子は入学式を迎えた。朝は「行ってきます!」と同時に走り出し、ランドセルを置いていく。登校中も歩道のカマキリに気を取られ、まったく信号を見ない。このままでは命を落としてしまう。

「先生。うちの子、大丈夫でしょうか」

はじめての家庭訪問。私は不安を吐露した。先生は先生で「教室を飛び出してしまうので、できたら付き添ってほしい」と頭を下げる。これはもうタダゴトではなくなった。登校から下校まで。教室を出るたびに連れ戻す。ただそれだけで、一日が終わってしまう。

「頼むからみんなと同じように授業を受けてくれよ」

私は頭を下げた。こんなことはもうしたくない。本当はそんな気持ちだった。すると息子は「パパはぼくがキライなんでしょ」と泣き出した。ちいさな手で、大粒の涙をぬぐって。それを見たら言葉がなかった。ああ、ごめん。ああ、俺はなんてことを。

「もうみんなと同じじゃなくても......」

息子が寝たあと妻が言った。慰めているのか。あきらめているのか。言葉にうっすらため息が滲んでいた。

それから私たちは、息子を教室に連れ戻すのをやめた。あるときは花壇のチューリップを数えたり、小石で地面に絵を描いたり。そこには教科書もノートもない。息子にとっては目の前にあるものが教材であり、社会を学ぶ教科書。

「ねえ、木はどうやって数えるの?」

「いっぽん、にほん、だよ」

「パパ、花壇になんて書いてあるの?」

「『はいるな』だよ」

やがて息子は地面にひらがなを書くようになり、そのつど私も木の棒で花丸を描いた。だけど描きながらふと思ってしまう。本当は真っ白なノートに真っ赤なペンで花丸を描いてやりたいと。そんなときに限って「パパ、たのしい?」と息子が聞くもんだから、うかうかしていられない。あわてて「うまく書けたなあ」と言って何重にも花丸を描いた。

「ここにパパがいる!」

あれは2年生の春。その日は遠足で近所の公園に出かけた。しかし息子は朝からみんなと交わらない。整列中もひとりでブランコのほうへかけだし、終いにはおやつを開けてしまう。私もおどろいたが、なにより周囲が黙っていられない。

「ずるい!」

「みんな、がまんしてるのに!」

私もあわてて息子を注意した。そして交番の前を通過したときだった。息子がいきなり足をとめた。

「パパ! 見て!」

見れば交番の「交」の字を指す。

「ほら、いいから。みんなが先に行っちゃうだろ。早く、早く」

「ここにパパがいる!」

「え......」

「ほら『父』だよ! ぼく、この字好き!」

その表情を見るなり、なぜだろう、急に目頭が熱くなった。たとえみんなと同じじゃなくても、私たちの心は、確かに、交わっている気がした。

回り道をした幸せな毎日

あれから学年が上がるにつれ、少しずつ手が離れた息子。今ではケガをした友達を保健室に連れて行くほど世話好きになった。そんな息子を見て、子育ては想定外ばかりだけれど、感動も想像以上だと気づかされる。

一筋縄ではいかないけど、幸せ。回り道をした分、幸せ。付き添いがいらなくなった今、誰かが地面に描いた花丸でさえ愛おしい。本当はもっと楽しめばよかったな。うんとほめてやればよかったな。その思いは尽きない。

今なら言える気がする。私にやさしさを教えてくれた息子に。

お前との毎日。ハチャメチャだけど、メチャクチャ楽しかったぞ、と。

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