近所に家が5軒並んでいるとする。1軒の家が金を儲ける。そこのお嬢さんがこれ見よがしに着飾る。そうすると、あとの4軒にもお嬢さんがいたら、やっぱりうらやましい。それがなんとなく抵抗になってくる。

 そこの主人は勝手に儲けて勝手に使っているので、人に迷惑をかけないからいいと思っているかもしれないが、近所の人はそうは思わん。生意気や、ぜいたくやということで、何かのときにしっぺ返しが来る。そこで、そう勝手なふるまいはできないということになる。これが世の中というものやね。そこにむずかしさというものがあるので……。これは社会学やな。(笑)

 松下幸之助は9歳のとき、郷里和歌山から単身大阪の火鉢店に奉公に出てきましたが、幸之助が入店して3カ月後に、その火鉢店が店をたたむことになりました。そこで、親方の知り合いの5代自転車商会に移りました。場所は、船場堺筋淡路町(現在の中央区淡路町2丁目)。ここでの仕事は、朝晩の店の掃き掃除やふき掃除、陳列商品の手入れ、自転車修理の手伝いなどでした。そこで幸之助は、15歳まで働くことになるのです。

 後年、「自分にとって奉公時代は、"船場学校"とも言えるものだった」と述べていますが、大阪の代表的な商売の町・船場で、他の小僧たちと同じように、挨拶の仕方や頭の下げ方など商売の基本を一から厳しくしつけられたのです。その時代に、次のようなことがありました。

 自転車を修繕に来て待っている客から、たびたび「ちょっと小僧さん、タバコを買うてきてくれんか」と頼まれました。「へぇ、よろしおます」と、最初のうちは、汚れた手をいちいち洗って近所のタバコ屋まで駆け出していたのですが、時間もかかるし、面倒だ。そこで自分のお金で買い置きをしておくことにしたのです。  

 幸之助はそのときまで知らなかったのですが、当時、20個入りの1箱をまとめて買うと1個おまけがつきました。「敷島」が1つ110銭、「朝日」が8銭。月に2箱や3箱は売れたので、2~30銭の儲けが出ました。小僧の給料が50銭から1円の時代、それは結構な小遣いになりました。客にも大変好評で、親方もよく思いついたものだとほめてくれました。いわば一挙三得に思えました。けれど、半年ほどして、親方にこう言われました。

 「幸吉、あのタバコの買い置き、あれもうやめとき。はたのもんが何かとうるさい。ごちゃごちゃ言いよる。もちろんお客さんも大事やけど、店の中がしっくりいかんと困るさかいな」

 幸之助は、「タバコで儲けたお金を出してみんなにおごったらよかったんですな。しかし、そこまで気づかなかった」と言っていますが、そのとき、人情の機微と人間社会の複雑さ、むずかしさを思い知らされることになったのです。

 

 

(月刊「PHP」2007年6月号掲載)


松下幸之助とPHP研究所

PHP研究所は、パナソニック株式会社の創業者である松下幸之助が昭和21年に創設いたしました。 PHPとは、『Peace and Happiness through Prosperity』の頭文字で、「物心両面の調和ある豊かさによって平和と幸福をもたらそう」という意味です。

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