人の心を打ち、その心を動かすものは何か。それは、もちろん、時と場合によっていろいろなものがあろう。それは、さまざまだと思う。

 しかしながら、いつの場合にもいえると思われることの一つは、やはり熱意というか熱心さというものの有無ではなかろうか。その熱意が真にあれば、おのずと外に出る。形にあらわれる。そしてそれが、人の心を打つ。人の心を動かす。そして私は、これが商売の一つのあり方だと思う。

 商売というのは、単に物を売った買ったというだけのものではない。お互い人間同士が、誠心誠意、自分の仕事に打ち込んでいく熱意によって、心がふれあい、心がとけあっていく。そういうところから、本当の商売ができていくのではないかと思う。

 松下幸之助が五代自転車商会に奉公して、3年が経った13歳の頃のことです。

 幸之助は日頃から"一度自分で自転車を売ってみたい"と考えるようになっていました。しかし、当時の自転車はまだ珍しく、その値打ちはいまの自動車以上で、小さな小僧一人で売り込みに行くことは許されてはいませんでした。それだけによけいその思いは強くなっていたのです。

 そんなある日のこと、お得意先から「自転車を見たい。すぐ持って来て欲しい」という電話が入りました。あいにく、番頭さんも担当の店員も留守をしています。しかし、相手は急いでいるようです。そこで主人は幸之助に言いました。

 「おまえ、先様はお急ぎのようだから、これを持って行っておいで」

 まさにチャンス到来です。幸之助は張り切って自転車を持って行き、一生懸命得意先のご主人にその性能や特徴など、知っている限りを説明しました。それを笑顔で聞いていたご主人はこう言いました。

 「なかなか熱心なかわいいぼんさんやな。買ってやろう。買ってやるから1割引きにしておきなさい」

 幸之助はうれしくて、とんで帰って主人に、「売れました。1割引きで買ってもらえることになりました」と報告しました。ほめてもらえると思っていた幸之助に、主人は難しい顔で言いました。

 「一割引くとはどういうことや。初めからそんなに引いたのではどうにもならない。もう一ぺん先方に行って5分だけ引きますと言うてこい」

  いったん約束したことを違いましたとは言いにくい。幸之助は悲しくなって、「なんとか1割引いてあげてください」としくしく泣き出しました。

 その話を聞き、幸之助の熱心さと純情に感動した得意先のご主人は5分引きで買い、幸之助に、「君が五代自転車商会にいる間は、君のところから自転車を買おう」とまで言ったといいます。

 「商売には品質も大事、価格も大事。だが、それ以上に大事なのは熱意と誠意、お客様との精神的なつながりである」。このような信念は自転車を売った幼き日の体験から生まれたのです。

 

(月刊「PHP」2007年7月号掲載)


松下幸之助とPHP研究所

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