社員の人が課長にものを提案する。提案しやすいように、たえずそれを受け入れる態勢というものを、心の中にもってないかんと思うんです。

  「いや、きみ、熱心で結構だ」と言うて、まずそれをばよく受け入れる。しかし、そのことを採用するかどうかということにいたっては、また課長の立場でいろいろ考えがありましょう。これは、直ちに受け入れられないというようなときには、いったんその行為なり熱意なりは十分に受け入れて、そして、「しかし、これはこういう状態やから、ちょっとしばらく待ってみようやないか。また、きみ考えてくれたまえ」と言うてですね、創意発案すればするほど課長が喜ぶんだ、部長が喜ぶんだ、重役が喜ぶんだというような雰囲気が、全社にみなぎらないかんと私は思うんです。

 松下幸之助は井植むめのと結婚した頃から、大阪電燈の職工として家庭への配線を行ないながら、工事の効率を上げるため、もっと便利なソケットができないものかといろいろと考え、工夫を重ねていました。それがだんだん具体化して、1つの試作品ができ上がりました。

 “これはいいものができた。これを是非会社でも使ってもらおう”

 幸之助は胸を躍らせながら主任のところに、

  「是非見てもらいたいものができました。非常に便利でいいものができたと思います」

 と試作品を持っていったのです。

  「そうか。どんなものか見せてみたまえ」

 とその試作品を手にとってじっと見ている主任に、幸之助はそのソケットの長所を懸命に説明し、賛辞の言葉を待ちました。ところが、主任の口から出たのは意外な一言でした。

  「松下君、これはきみ、ダメだぜ。使いものにならんな。この程度のものであれば僕は課長のところにようもっていかんよ」

  この言葉に幸之助は脳天をガツンとやられたようなショックを受け、二の句が継げませんでした。しばらくしてか細い声で言いました。

 「本当にダメでしょうか?」

 「ダメだね。もっと工夫したまえ」

 会社のためになるいいものができたと信じていただけに、その落胆は大きく、悔しさと悲しさで、主任の前を去る幸之助の目は涙でいっぱいになっていました。

 この出来事が、幸之助が独立し事業を起こす1つの要因となっていくのです。

(月刊「PHP」2007年12月号掲載)


松下幸之助とPHP研究所

PHP研究所は、パナソニック株式会社の創業者である松下幸之助が昭和21年に創設いたしました。 PHPとは、『Peace and Happiness through Prosperity』の頭文字で、「物心両面の調和ある豊かさによって平和と幸福をもたらそう」という意味です。

■月刊誌「PHP」

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