このときつくづく思ったことは、有権者というか、世間の人は、誠意をもって話せばわかってくれるということでした。つまり、「松下という候補者は、まだ若いが、ムチャな戸別訪問もしないし、訪問しても誠意をもって、ていねいにわかりやすく説明をして帰っていった。あの男ならいいだろう」と、このようなことだったろうと思います。

 世間の人は良識というものをもっている。だから誠意をもって純真に訴えていけばそれでいい。そういうことをしみじみと感じました

 松下電気器具製作所を創業して7年経った大正14年の年末、松下幸之助は町内の有志に推され、大阪市の連合区会議員選挙に立候補することになりました。健康に自信がないからと断ったのですが、「君には心配をかけない。運動はわれわれがやるから」という再三の説得に折れ、引き受けたのでした。

 20名の定員に、立候補者は28名。非常な激戦で、当時は戸別訪問が許されていたため、候補者が一軒一軒膝詰め談判して投票を依頼してまわるという状況でした。最初は有志に任せていた幸之助も、有志たちの意気盛んな様子と、他の候補者の活躍ぶり見ているうちに、自分だけじっとしているわけにはいかないという気になり、みずから選挙運動の第一線に立って戸別訪問を開始することにしたのです。

 ただ、幸之助は、他の候補者が何度も同じ家を訪問したのに対し、同じ家には一度しか行きませんでした。28人の候補者が1回ずつ訪問するだけでも、有権者は28回も応対しなければならない。それが3回、4回となると、"また来たか、うるさいな"と思うのではないかと考えたからです。そのかわり、その1回の訪問のときには、誠心誠意、ありのままの気持ちを心をこめて述べ、相手の共鳴を得るよう努力しました。

 「私は区会のことを詳しくは知りません。しかし、区会議員というのは非常に重要な仕事ですから、当選した場合は一所懸命にやるつもりでおります。くれぐれもよろしくお願いいたします」

 投票の結果、20人中第2位で当選を果たし、有志も幸之助も大きな感激を味わいました。同時に幸之助は、"良識をもって誠心誠意訴えれば、世間は必ず認めてくれるものだ"という思いを強くしたのでした。

 そのように感銘深く、また得るところの多かった選挙でしたが、結局、幸之助は、議員生活からは一期で身を引いています。後年、「議員は自分には適任でないとわかったんです。やはりこつこつと働いて商売で身を起こそうと思うようになって、仕事本位にやったんです」と述べています。

(月刊「PHP」2008年7月号掲載)

松下幸之助とPHP研究所

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