われわれを取り巻いている常識、知識というものは、想像以上に根強いものである。「ああ、それはダメなんだ。こうこう、こういう理由でダメなんだ」という具合に決めこんでいるものが、われわれの身のまわりには意外と多いのではなかろうか。

 しかし、われわれは、自分の仕事の上において、時にはそのような定まった考えから解放され、素直な疑問、素直な考えというものを大切にし、それを生かすことが必要であろう。そして、それを常に育てていくことによって、まったく新しいものを生み出すことができるのではないかと思う。

 松下電器が初めてラジオを販売したのは、昭和5年8月のことでした。当時はラジオがようやく普及しつつあった時期で、どのラジオも故障が多く、松下幸之助自身、聞きたい放送が聞けずに腹立たしい思いをすることがよくありました。そうしたことから、故障の少ないラジオをつくることが社会の要請であると考えたのです。

 松下電器にはまだラジオの専門知識や技術がなかったため、技術的に信用のあるラジオメーカーと提携して子会社を設立し、販売を始めました。ところが、意に反して故障が続出、返品また返品という惨憺たる結果となってしまいました。

 それまでラジオは専門店で売られていたので、ラジオはある程度故障するものだという前提に立ち、多少の故障は店で直してから顧客に渡していたのですが、松下電器の販売網は多くが普通の電気店であり、真空管のゆるみといった些細なことでも、箱から出して鳴らなければ不良として返品していたのが主な原因でした。

 幸之助は「知識や技術の浅い電気店でも容易に販売できるよう、故障のないラジオをつくってほしい」とメーカーに申し入れました。しかし、メーカーの責任者は「故障絶無というわけにはいかない。ラジオは相当むずかしいものだから、やはり専門店で売るほうがよい」と主張します。

 これに対して、幸之助は静かに考えました。

「ラジオは故障するものという固定観念がいけない。腕時計のような小さくて複雑な機械でも、あれだけ正確に動いている。ラジオは至極簡単なもので、必ず完全無欠なものができるという観念を自身でもち、また従業員一人ひとりにもたせれば、理想のラジオが必ずできるはずだ」

 こうして幸之助は、松下電器独自でラジオを開発することを決意し、研究部に"故障のないラジオ"をつくるよう命じたのです。3カ月に及ぶ担当者の日夜真剣な努力によって、「三球式ラジオ」が完成、その試作品が東京中央放送局(NHK)のラジオセット・コンクールで見事一等に当選したことから「当選号」と名づけられ、昭和6年10月、販売が開始されたのでした。

(月刊「PHP」2009年6月号掲載)

松下幸之助とPHP研究所

PHP研究所は、パナソニック株式会社の創業者である松下幸之助が昭和21年に創設いたしました。 PHPとは、『Peace and Happiness through Prosperity』の頭文字で、「物心両面の調和ある豊かさによって平和と幸福をもたらそう」という意味です。

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