第69回PHP賞受賞作

辻 裕子

京都府・主婦・43歳

雲一つない青空。暑すぎず、寒すぎない気候。そして何より「よし! 今日はこの町を飛び出そう」という突然発動される現実逃避。これらの条件がそろうと、私と母はフェリーに乗り、有明海を越えて長崎へ出かけた。

中学生だった私は、学校生活になじめず、不登校になっていた。明日は学校に行かなければと思うほどに、体が震えて涙が出た。真っ暗などん底で、もがき続ける毎日だった。

だが唯一、逃げ込める世界があった。それが幕末だ。ドラマをきっかけに幕末の世界にどっぷりつかり、幕末関係の本を読み漁った。他人に左右されず、広い世界を夢見て故郷を飛び出した坂本龍馬の生き方にあこがれ、今の自分にはかなわぬ夢だと思いつつも、「いつかは私もこの町を飛び出したい」とひそかに願うようになった。

歴史上の人物を好きになっても、実際に会えるわけではない。だが、私にとってそれは大した問題ではない。たとえ同じ時代を生きていなくても、その人物が過ごした場所へ行けば、あとは想像力が何とかしてくれる。

龍馬と言えば、高知、京都、そして長崎。本命は幕末の主要な舞台である京都だが、遠いし旅費もかかる。しかし長崎なら、福岡の南にある自分の町からはフェリーに乗ればすぐだ。この海の向こうに幕末を感じられる場所があると思うと、今まで恐怖や不安でしかドキドキしなかった胸が、違うリズムで軽やかに躍り出した。

坂本龍馬が長崎に設立した、日本初の商社である亀山社中。30年前、当時のまま保存されていた屋敷の中には、龍馬が寄りかかっていたと言われる柱も残っていた。そのころは今ほど幕末ファンは多くなく、ほかに誰も観光客がいない中、想像力をフル回転させて龍馬がいた時代へタイムスリップした。幕末の雰囲気をじかに感じることで、今まで本や頭の中でぼんやりとしか見えていなかった世界にあかりが灯ったような気がした。

「大切なのは、後悔しない道を進むこと」

学校生活がうまくいかずに現実から逃げ出したい私。遅番もある大変な仕事の毎日から逃げ出したい母。二人は天気のいいおだやかな日が訪れると、「今日は長崎日和だね」とどちらからともなくつぶやき、「よし! じゃあ行くか」と町を飛び出した。

通い続ける中で、ある出会いがあった。龍馬の銅像が立つ展望台で写真を撮っていると、一人の青年がやってきた。話しかけてみると、彼は千葉の高校生で、数学の成績優秀者が集まる大分での合宿に参加していたが、そこにいることへの疑問を感じ、脱走してきたという。同じように疑問を感じて土佐を脱藩した、目の前の銅像の人物を思い起こさせるような青年だった。しかも彼は脱走したことに何の後悔もなく、長崎での時間を大いに楽しんでいた。

「学校に毎日通うのは当たり前」「嫌なことから逃げるな」。そう言われ続け、不登校である自分が最低な人間のように思えて絶望していた私は、なぜこの青年は脱走というとんでもない規則違反をしても平気でいられるのか、不思議でたまらなかった。

長崎で別れたあとも手紙のやり取りをするようになり、自分が不登校で悩んでいることを告白すると、こう返事をくれた。「学校に行く、行かないは重要じゃない。大切なのは、自分が後悔しない道を進むこと」。それはたしかに彼の字だったが、まるで龍馬からの手紙を読んでいるかのように感じた。

幸せな未来へ続いていた幕末の世界

本物の坂本龍馬には会えなくても、龍馬のような生き方をしている青年には出会うことができた。これは龍馬がくれたファンサービスではないだろうか。そんなふうに想像が暴走してしまうぐらい、長崎での彼との出会いは衝撃的で、凝り固まった考えを柔らかくほぐしてくれるものだった。

その後私は、友達が進む道に無理をして付いて行くことはあきらめ、自分が後悔しない道を進み出した。すると心の負担が減って、自分に自信が持てるようになり、「この町を飛び出したい」という願いを実現する勇気も生まれた。

そして今、私は京都で暮らしている。移住して20年以上が経つが、その間に史跡を巡るだけでなく、幕末に縁のあるお寺で働き、幕末を好きになるきっかけとなったドラマの撮影地の近くに住み、生まれた息子には「龍馬」と名付けた。現実逃避するために逃げ込んだ幕末という世界は、幸せな現実の世界へと続いていた。

故郷から離れた今でも、雲一つない青空の日には、長崎が呼んでいるような気がして胸が躍る。それと同時に、何かが始まる予感がして、いまだに落ち着くことを知らない想像力が、待ってましたとばかりに身を乗り出す。

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