ホスピスケアを行なう医師の徳永進さん。前を向いて生きることを、どのようにとらえているのでしょうか。

徳永進(医師)

1948年、鳥取県生まれ。京都大学医学部を卒業。京都、大阪の病院勤務を経て、鳥取赤十字病院の内科医に。2001年12月、鳥取市内にてホスピスケアのある診療所「野の花診療所」を始める。著書に『在宅ホスピスノート』(講談社)ほか。

※本記事は、月刊「PHP」2018年1月号特集《人生、前を向いて歩こう》より転載したものです。

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生命って、広い宇宙や大海原を漂っているようなものだと思う。星に当たったり、海草の繁みに足を絡からめとられたり、それでとりあえず命は終わる。終わった命は、それなりに宇宙や大海原を漂っている。生きていた時と同じように。

がんなどの病気で、最後の日々を生きておられる人たちの世話をする診療所を作って16年になる。人間ってすごいな、と思うことがいろいろあって、この仕事を続けられているのだと思う。

「明日」と「あさって」

がんの末期の人で、「もうそろそろ終わりにしてください」と嗄れ声で自分の気持ちを表す人がある。はじめのころは驚いたりしたが、同じことを少なくない人が口にすることに気付き、驚くことはなくなった。ヒトという生命体に宿っている気概なのかも知れないと、このごろは思う。「いつ終わりますか? 明日ですか?」と詰められることもある。

「明日」という言葉は、今、困難の中にいる人にとって、困難が融解するのに必要な時間の先にある「脱皮の日」のようで、救いの時間語のようにも思える。一方、命の限界を生きている人には「今日は生きているが、明日はお別れか」と、悲しい響きを持つ場合もある。

問われて戸惑うぼくは思わず、「明日は大丈夫。あさって」と答えたことを思い出す。

その人にとって、この世との別れは覚悟済み。「明日」が使用禁止語でも何でもないとは察しできたが、「明日」には切羽詰まった時間の短さを伝える響きがあった。

一方、「あさって」には、何かのん気さが感じられた。24時間×2で、「あさって」は「明日」の2倍、という以上の長さを感じた。

大袈裟に言うと、「明日」は必ず来るが、「あさって」は、ひょっとしたら来ない日、にも感じられた。患者さんは、「あさってかあー」と、少し安心したような溜め息をついた。

「歩き始める」と「歩き終える」

人間って、二足歩行の動物。赤ん坊が寝返りが打てるようになり、這い這いし、立ち立ちができるようになり、歩行器につかまって歩けた時の満面の笑顔は、人生の笑顔大賞の中でも最優秀賞だと思う。歩き始めることで人は違う世界に出合い始めていく。

がんの末期を生きていた60代の女性に聞いたことがある。「今一番したいことは何ですか?」。答えに驚いた。海外旅行、温泉旅行ではなく、「道が歩いてみたいです」、だった。「どの道を?」と聞き、その道に同行した。

家の前の砂地の上にあったコンクリート道。それを歩いて近くのスーパーへ行き、いつもの買い物をしてみたかった、とその女性。道を歩き終えられ、しばらくして亡くなった。

9月の日曜日、台風がやってきた。病棟を回診した。新聞配達で朝早く起き、我慢強い40代の女性は、医者嫌いで病院嫌い。病気の発見が遅れ、腸閉塞状態。ホスピスケアを求めて紹介入院となった。

「朝御飯、食べたい」と女性。付き添う80代の母親、「こればっかりです」と嘆く。新聞配達のあとの朝御飯は格別だったのだろう。「少しなら」と許可した。「うれしいー。お粥とミソ汁」と女性。「ええですか?」と笑顔の母。

もう一人は、同じく末期の85歳の元社長さん。認知症もあるし、心不全や肺炎を併発する。手や足はやせ、寝たきり。その日はいつでもやって来そうなくらい弱っておられるのに、起き上がりこぼしのように甦る。

「いかがですか?」「ああ、先生、待っとりました」。手を差し出される。「退院、いつにしましょう?」と元社長。退院!? 奥さまは去年他界、子ども達は県外。退院なんて、と思ったが「さ来週は?」と答えた。「いやー、もうちょっと手前にしましょう、必ず、よくなりますから」とニッコリ。明日は台風一過、必ず澄んだ秋空だ。

いろんな立場の人がいる。いろんな苦悩、苦難を抱え、苦境を生きる。明日は誰にでもやってくる。その明日が、希望を失わぬ日であることを、誰もがひそかに願っている。