第五十八回PHP賞受賞作

芝池恵美子
(京都府京田辺市・主婦・五十四歳)

今年の四月に大学四年生になる一人息子が、公立幼稚園を卒園したときの話です。
その年は、卒園児とともに定年退職される園長先生の発案で、壇上で卒園証書を受け取った園児たちが、自分の席に戻る前に母親の席に行って一言、感謝の言葉を伝えるという趣向がありました。
「お母さん、三年間おいしいお弁当を作ってくれてありがとう」
「お母さん、寝る前に絵本をたくさん読んでくれてありがとう」
「お母さん、いつも送り迎えしてくれて、ありがとう」
「お母さん、ぼくといつも遊んでくれてありがとう」
ほかのお子さんが発する、子どもらしく、愛らしい言葉を、「弁当が間に合わなくて、後で慌てて届けたこともあったな」「うちも毎日読み聞かせしたな。疲れて一緒に寝た日も多かったけど」「そうだよね。暑い日、寒い日、送り迎え大変だったな」と我が身に置き換え、どの言葉も感慨深く聞いていました。
ようやく、うちの息子の番です。何を言ってくれるのだろう。
お弁当をがんばったから「おいしかった」かな。毎日読み聞かせもしたし、お店屋さんごっこでもよく遊んだな。
本当に何と言うのか楽しみだな、と内心ワクワクしながら待っていました。

面倒を見てくれてありがとう

しかし、息子はこう言いました。
「ママ、三年間おばあちゃんの面倒を見てくれてありがとう」
卒園児が七十名以上いる中で、自分のこと以外で感謝の言葉を伝えたのは息子一人だけでした。来賓席から「ほうっ」という感嘆の声が聞こえた気がしました。
息子が三歳になった春、「要介護 四」の義母を在宅介護するために引越しをし、同居が始まりました。
慣れない介護と新しい土地での家事、育児に突っ走ってきた三年間。決して息子からお礼を言ってもらえるような“いい介護”ができていたわけではありません。
病気のせいではありますが、義母の理不尽なわがままに振り回され、私は毎日泣き、そして怒りをため込んでいました。時には義母と激しい喧嘩もしつつ、ダメダメな介護をしていたのです。
そんな私に、息子はなぜお礼を言ったのか。もしかして、私の日頃の態度を非難したのではないか。
「ぼくと血のつながった、ぼくのおばあちゃんやで。もっと優しくしてあげてな。これからもずっとママが介護してな」
自分の介護に自信のなかった私は、息子の言葉がそんなふうに聞こえ、笑顔が消え、固まってしまいました。
反面、「こんな小さな、そして最愛の息子に気を使わせてしまうほど、不憫な思いをさせてきたのではないか」と自省の念もこみ上げてきました。自分に余裕のないせいで、家族に無理をさせていたのではないか。そう、深く反省しました。
家に戻ってから息子に「なんでおばあちゃんのことを話したん」と訊いても「だって、ずっとママが面倒を見てくれたから」と笑顔で答えるだけでした。
その笑顔を見て、いつの日にか、
「そんなん当たり前やん。家族やもん。でもありがとうね。どういたしまして」
と、曇りのない笑顔で答えられる肝っ玉母さんになりたい。その夜、強く思いました。

優しい息子の母になれた

義母は卒園式から三年後の春に亡くなりました。小さかった息子は昨年成人し、とっくの昔に私の身長も越していきました。
卒園式の出来事をふと思い出した夜、たまたま私と一緒にいた息子に、何気なく尋ねました。
「卒園式でな、なんでおばあちゃんのことをママにお礼言うたん」
「なにそれ、えらい唐突やな。そんな昔のこと覚えてへんわ。六歳やろ」
と息子はそっけない返事です。
「でもな、なにか理由あったやろ。ママがめっちゃ辛そうやったけど、がんばってたから言うたんか、それともぼくのおばあちゃんと仲良くしてな、面倒見てな、と思って言うたんか、どっち?」
としつこく問うと、
「最初やな」
とぼそっと一言だけ言って、向こうに行ってしまいました。
卒園式の夜に誓った肝っ玉母さんになれたかどうかはわかりません。
でも、優しい息子の母にはなれたようです。天国のお義母さんに感謝しています。