第59回PHP賞受賞作

大川育子(神奈川県横浜市・無職・68歳)

あの朝、私は生後9カ月の娘を保育園に預けに行った。保育園は、小児科の医院を併設していて、横浜市の自宅から徒歩10分程度の場所にあった。利用を始めて、まだ10日にもならないころのことだ。
私は一人で、初めての子育てをしていた。慣れない環境の中、育児についてのアドバイスをくれ、娘の発育を確認してもらえる保育園の存在は、心の支えとなっていた。
いつものように娘の検温を行なうと、37度あった。保育園に娘を託して行こうとしたが、保育士さんに引き止められた。
「熱があるときは預かれません」
しかし、その日の私には、どうしても外せない用事があった。
「お願いします。早めに迎えに来ますから」
そう繰り返し頼んだが、保育士さんはうなずかない。園長にも相談をしてくださったが、ダメだと言われ、打つ手がなくなった。
私の必死の形相となかなか終わらない押し問答を、ほかのお母さんたちも出勤前の慌ただしい中で注視している。保育士さんを困惑させていることはわかっていたが、引き下がれなかった。
その様子を見て、私の「お願い」をきいてくれたのは、一人のお母さんだった。
まったく面識のない方だったが、「大切な用って、お仕事?」と尋ねながら、自分の車に私と娘を乗せてくれた。自分のお子さんは保育園に預け、「家に母がいるから、頼めるわ」とてきぱきと連絡しはじめた。
お家に着くと、彼女のお母様だという初老の女性が戸惑いながらも出迎えてくれ、娘を大事に抱きかかえてくれた。私は、二人にお礼を言って、都内に向かった。

進学に対する後ろめたさ

彼女が「大切な用って、お仕事?」と尋ねたときに、「いいえ、大学院の入学試験です」と答えることができなかった。
そのような事情が理解を得られるとは思えなかったのだ。出産、育児のさなかにあっては、進学など母親らしくない余計なこと、優先順位の低いこと、すべきではないことだと思われるのではないか。そんな後ろめたさが、私の口をつぐませた。
その日は入試の2日目、口頭試問の日だった。前日の筆記試験の出来具合も不安だったが、それ以上に、我が子を、初対面の人の家に置いてくるという暴挙を行なったことの恐怖がじわじわと襲ってきた。二人の教授を前に、私の目は虚ろだっただろう。
自分の番が終わると、ほかの受験生たちとは一言も交わさずに走り出した。試験会場から彼女の家までの道中は、電車の中でも走りたい心境だった。
到着すると、娘は和室の小さな布団の中で眠っていた。そばにいたお母様がうなずいて「静かに寝ていましたよ」と娘を私に抱かせてくれた。
娘はちょっと薄目を開けたが、また安心したように眠った。熱は下がっていた。ミルクを飲ませてもらい、平穏おな数時間を過ごしたようだ。
どんなにお礼の言葉を尽くしても言い足りなかった。感謝の気持ちをこめた手紙を、後日、彼女の家に届けると、その夜、彼女と電話で話すことができた。
彼女は、こう言った。
「次は、あなたが誰かのためにしてあげればいいんですよ」
この言葉は胸に沁みた。

人の手が一番ありがたい

あのとき、手を差しのべてくれる人がいなかったら、どうなっていただろうか。
微熱のある乳児を満員電車に乗せていくことはできない。親戚はいない。転居してきたばかりで近隣に知人はいない。夫は単身赴任で大阪だ。頼みの保育園に断られて、私にはもう当てがなかった。受験を断念したら、その後の人生は違った展開になっただろう。
幸い、私は試験に合格し、大学院で念願の文学研究に取り組むため、都内に転居することができた。大学構内を、赤ん坊を胸に抱きながら歩いたこともある。30年前のことで、職員や学生のための託児所はまだ整備されていなかった。
女性を取り巻く社会環境は日ごとに変化している。結婚、出産、育児、仕事、学問......。今はあのころよりも制度が整い、多くの女性が夢に向かって努力できるようになっていることだと思う。
ただ、現在の制度や設備の充実は心強いが、肝心なときに最も人を救ってくれるのは、依然として、人の手ではないか。
本当に困ったときに、まっすぐな行動で助けてくれた人がいた。その存在と、「次は、あなたが誰かのために」という言葉を、私は決して忘れることはない。