第59回PHP賞受賞作

松田良弘
大阪府羽曳野市・会社員・44歳

私が入学した高校には、野球部がなかった。
小学生の頃から野球に打ち込んできた私は、高校では強豪校に入り、甲子園を目指そうと思っていた。
しかし、受験に失敗し、進路は滑り止めで受けていた学校しかなかった。
入学当初、私は落ち込み、もう野球のことは忘れようとあきらめていた。そんなとき、同じように野球がやりたいと思っていた仲間に出会ったのだ。新しく部を作り、もう一度野球をやろうと思った。
私達の呼び掛けになんとかメンバーはそろったが、学校から部活動として承認してもらう必要があった。そうしなければ対外試合ができないのだ。そのためにはまず、顧問の先生が必要だった。
しかし、何人もの先生にお願いをしても誰も引き受けてはくれなかった。
そんな中、一人の先生が手を挙げてくれた。色白でガリガリの美術の先生だった。
「野球はおろか運動経験もまったくないけれど、それでもよければ引き受けるよ。君達の情熱と行動力を見て、自分の青春時代を思い出した。好きなこと、楽しもうよ!」
先生は、笑顔で私達の肩を叩いてくれた。
私達は少し不安だったが、野球をやるためならこの際しょうがないと思い、先生に顧問をお願いすることにした。

「楽しさ」に正直になる

ぶかぶかのユニフォームを着て、先生は毎日グラウンドにやって来た。
運動経験もない、と言っていたのに、私達と一緒に練習に参加した。先生は生徒からのノックを受け、ひたすらバットを振り、グラウンドを駆け回った。いつも私達以上に汗をかき、ユニフォームと顔は泥だらけだった。
「顧問を引き受けた以上、私も野球の楽しさを知りたいと思ってね」
試合では、野球のルールブック片手に、いつも突拍子もない作戦を指示した。初めて野球にふれたからこそ、思いつく作戦なんだろう。
初めは私達も呆れていたが、その作戦に相手は戸惑い、見事に勝利することもあった。
点が入り、アウトをとる度に、先生は子どものように飛び跳ねて喜んでいた。
「今日の課題は、全力で楽しむこと!」
先生は必ず、練習や試合の前にはみんなにそう指示していた。そして、いつもニコニコと私達に接してくれた。
しかし、私達が誰かをバカにする態度や、自分勝手なプレーをしたときには、先生は本気で怒った。
「誰かを傷つけることは、野球のルールにはない!」
それまで私は、ただ試合に勝つためだけに、自分を殺して野球をやっていたと思う。
しかし、先生と出会ってから、一から自分達で考え、作り上げていく野球が、こんなにも楽しく、かけがえのない時間をくれることを知った。
勝敗ではなく、自分が「楽しい」と思うことが、何よりも大切だと先生は教えてくれた。
私達は、いつしか先生といる時間がとても好きになっていた。

嘘のない顔で毎日を生きよう

そうして三年が過ぎた。
最後の試合が終わると、先生は私達をグラウンドに集めた。そして、みんなに一冊ずつ、アルバムを渡した。
アルバムには、汗と泥にまみれた私達の顔、晴れやかな顔や照れた顔、苦しい顔、悔しさいっぱいの涙顔、など何十枚もの写真がおさめられていた。それを見ているだけで、三年間の思い出が身体中に蘇ってきた。
「実は、こっそり撮らせてもらっていたんだ。これは君達のがんばった証だ。私にとっても何よりの宝物だ。
私は昔、写真家になるのが夢だった。それは叶えられなかったが、一から部を立ち上げ、毎日を一生懸命に走っている君達の顔を見ていると、私ももう一度あのときの夢に挑戦してみたくなったよ。
そうだ、みんなで約束しないか? これからも夢は諦めずに、どんなときでも、ここに写っているような嘘のない顔で毎日を生きようじゃないか。
みんながそれぞれの人生を、それぞれのグラウンドを全力で駆け抜けよう! 三年間、本当にありがとう!」
先生はそう言うと、私達に向かって最後のシャッターを切った。
あれから二十六年。先生は写真家に転身し、世界中を飛び回っているそうだ。
私は自分を見失いそうになったときには、先生がくれたアルバムを開いてみる。
そして心の中のグラウンドに繰り出し、バットを振り、ボールを追いかけるのだ。そこには、泥んこの先生の笑顔も混ざっている。