第59回PHP賞受賞作
平井瞳
兵庫県神戸市・主婦・三十三歳
私は二人姉妹の妹として生まれ、ごく平凡な家庭で平凡に育てられた。
しかし、どこで歯車が狂ったのか。月日が経つにつれて、両親の仲が徐々に冷えていった。十年ほど、母と私たちは、父と家庭内別居をしていた。
両親は、子どもが自立したら離婚すると決めていたそうだ。姉の結婚を機にそれを知った私は、心理学の大学院へ進学した。
二十歳を過ぎたとはいえ、まだ親を一人の人間としてとらえ、彼らの別れを受けとめることができなかったのだ。
先延ばしにした二年だったが、かといって両親の仲を取り持つことも難しく、私は半ば諦めの気持ちで日々を過ごしていた。
頑なだった関係がほぐれていく
まだ寒さの残る春の折、私と両親は近所の百円寿司店で夕食をとった。父がパチンコで勝ったためだが、母はそんな父の趣味を嫌っており、決して愉快な雰囲気ではなかった。
会計を済ませ、駐車場へ向かうと、どこからか新生児の泣き声のようなものが聞こえてきた。
私は「赤ちゃんが車のなかで泣いているのだろう」と気にとめていなかったが、母が「猫がいる」と声を上げた。
見ると、店の裏から痩せこけた子猫がおぼつかない足取りで出てきて、口を大きく開き、必死に鳴いていた。いつから鳴いていたのか、声はかれ、悲鳴のように感じられた。
私と母が「どうしよ。母猫もおらへんし」とうろたえていると、父は「このままやと死んでしまうわな」とつぶやいた。母は「それじゃあ、どうしたらええの!」と憤慨し、父と二人で子猫を捕まえ始めた。
子猫は餌を求めて近寄っては来るものの、人に抱かれることを拒絶した。母の手を引っかき、父の肩から飛び降り、駐車場に並ぶ車の下へ逃げ込んだ。
両親は、それでも子猫を追い、車からタオルや箱を持ってくるよう私に指示した。
壮年の夫婦が地面に這いつくばりながら猫を捕らえようとする様は不格好だったが、何とか子猫を無事に保護することができた。
帰宅後、両親は動物病院の夜間外来へ走り、高額の診療費に愕然としながらも、子猫を新しい家族として迎え入れた。
父と母が二人で声をかけ合って共同作業をしたのは、いつぶりだっただろう。私は目の前の両親の姿にとても驚いた。
病院で子猫がオスだと知った母は、「我が家の長男やねぇ」と声を弾ませた。
次の日、両親は二人でホームセンターへ行き、子猫のための品物をそろえた。
しかし、育てていくうちに、あれもこれもと必要なものが出てくる。私がインターネットで猫の飼い方を調べ、二人に伝えると、口論しつつ一緒に出かけていく。
思えば、両親があんなに話すところを見るのは数年ぶりだった。猫は両親の仲を自然につないだ。
父は猫を口実に母の部屋へ顔を出し、母は苦々しい表情で対応をしつつ、父が来ると猫が喜ぶため、受け入れた。猫は父の部屋と母の部屋を気ままに行き来した。
頑なになっていた両親の心が、猫によってほぐれていく。娘の私がどうあがいても変えられなかった両親の関係を、猫はいとも簡単に変えていった。
「偶然」は大きな力を持っている
あの日から十年。子猫は人間でいうと、当時の両親と同じくらいの年齢となった。
両親は現在も婚姻関係を継続し、一緒に暮らしている。
私は縁あって人生のよき伴侶と出会い、一度は実家を出たが、夫の提案で私の実家を二世帯住宅に建て替え、両親、そして猫と再び居を共にすることとなった。
猫が来てからも、それまでの生活様式を変えずに別々の部屋で過ごし、別々にご飯を食べていた両親は、家のリフォームを機に、自分たちのそれぞれの部屋に加え、キッチンと共に小さなダイニングルームを作った。今は一緒にご飯を食べている。
そして猫は、私の一歳の娘の、力加減を知らない愛情表現に呆れた表情をしつつも、毎日、気が向いたときに私たちの住むフロアへ足を運び、家族をつないでくれている。
家庭というものは、新しい風がひと吹きするだけで変わるものだと痛感した。「偶然」は、とても大きな力を持っている。
あの日、子猫と出会わなければ、このような未来にはなっていなかっただろう。
十年たった今でも、理屈では説明できない「偶然」に感謝している。
あのとき、私は子猫の声を新生児のものと聞き違えた。でも、あれは両親の新しい関係性が生まれる音だったのかもしれない。