第65回PHP賞受賞作

里田 りか
東京都・学生・19歳

いかがお過ごしですか。そちらは楽しいですか。あなたと別れてから4年以上経ちます。あのとき高校受験を控えていた私は希望の音楽大学付属高校に進学し、今年でその音大の2年生です。

幼いころから私はあなたが大好きでした。

いつも笑わせてくれて、優しくて、物知りで、毎年一度、新幹線であなたのお家に遊びに行くのが何よりの楽しみで、そこから帰らなければならないのが何よりの悲しみでした。

行くたびに私のヴァイオリンの稽古を聴いては「うまくなった」と泣いて喜んでくれて、ふだん叱られてばかりだった私は何度救われたかわかりません。「ヴァイオリン弾きになりたい」という私の3歳からの夢をずっと応援して、叶うと信じてくれました。あなたのリクエストで弾いた「蘇州夜曲」と「アメージンググレース」は、今でも特別な曲です。

私が生まれる前からあなたが病気だったことは、周りから聞いていました。「私が生まれて寿命が延びた」と言ってくれたことも。

最後の数年は、だんだん痩せていくのがわかったし、本音を言うと会うたびに「最後かもしれない」と覚悟はしていた......。だから、一緒に食事をするときはメニューを覚えて、あなたのお家から帰るときは、姿を目に焼き付けておこうと気をつけて見ていました。

おかげで今でも思い出せます。最後に一緒に食べたのはピザ、最後に見たのはドアの前に立って手を振る姿。ほかにも、一緒に星空を眺めたりお昼寝したりしたこと、あこがれの二段ベッドを手作りしてくれたこと、将棋や書き初め、おせちの作り方を教えてくれたこと、たくさんの思い出がよみがえります。

祈り続けた時間

知らせを受けてあなたと無言の再会をしたとき、おだやかな、それでいて何か力強い顔を見て、「新しい場所へ旅立つ覚悟」を感じました。

葬儀に向かう前の、自宅での時間。「せっかくだから」と促され、私はあなたの前でパガニーニの「カプリース」と「蘇州夜曲」、「アメージンググレース」を弾きました。あなたとの思い出で胸がいっぱいになり、いつ涙がこぼれてしまうかとはらはらしました。

弾き終わっても「ええなぁ」と言ってくれる声は聞こえない。でも、さびしいという感情はありませんでした。演奏という意識を超越して、ただ祈り続けた時間。あの演奏はあなたへの捧げ物でした。あなたから最後に教わったのは、音楽を捧げる心でした。

演奏のあと、葬儀会場であなたの顔から布をはずすと、キラッと光るものが......。もう開かないあなたの目から、きれいな涙が一筋。「亡くなってもしばらく耳だけは聞こえるっていうもの。さっきのヴァイオリンを聴いてたんだわ」とみんなはこぞって言いました。私は立ち尽くしたまま、ボソッと「移動の揺れで液体が出てくることがあるって」と言いましたが、「絶対に聴いていたのよ、目からこぼれてるんだもの」というみんなの言葉を信じることにしました。信じたかったし、あなたの顔を眺めていると、何だか、そんな気がしたのです。

あなたの孫で幸せでした

棺に入れられたあなたと二人きりの時間が少しありましたね。私は最後に伝えたいことがあったけれど、ありきたりだし、身内に聞かれたら恥ずかしいし、かすかな声でしか言えなかった。この際、4年越しに文字で伝えます。

じいじ、私はあなたの孫で幸せでした。すべての思い出が宝物です。今までありがとう。さっきはあなたの涙を見て、あんなことを言ってごめんなさい。照れくさかっただけなんです。あなたが私の演奏に耳を傾けていてくれたこと、きちんとわかっています。戦死したお父さんと妹さんに早く会えるといいね。もう体も痒くならないし、お酒も食事も好きなものを食べられるね。一人暮らしになるちょっと天然で優しいおばあちゃんと、世話好きで涙もろい一人娘のママのこと、守ってあげてください。

それから、4年経って伝えたいことが増えました。私は今年の夏にヴァイオリニストとしてデビューします。と言っても、コンサートのはじめに10分くらい演奏するだけの、ささやかなものだけれど。ずっと信じてくれた夢を、17年かけてやっと叶えることができそうです。ここからが本格的な音楽人生の始まりで、とても不安だけれど、じいじが教えてくれた心を忘れずに精進していく覚悟です。すてきな教会で演奏するの。もう自由に飛び回れるんでしょう? ぜひじいじのお父さんたちもお連れして、聴きに来てくれたらうれしいです。拙い演奏ではあるけれど、心を込めて捧げます。

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