第65回PHP賞受賞作

尾崎美樹
岩手県・主婦・46歳

「私、きのう隣町の公園に子供を置き去りにしてきちゃったの」

彼女は少しはにかんで、冗談交じりにそう言った。でも疲れ切った顔を見れば、それが真実だとすぐにわかった。おどろいて言葉も出ないママ友の私たちに、「あっもちろん連れて帰ってきたけどね」とあわてて付け加えた。私は彼女にそのときどんな言葉をかければよかったのだろう。あれから10年たった今も、ふとそのことを思い出す。

幼稚園に子供が入って知り合った私たち3人は、時々集まってはおしゃべりをする仲になった。転勤族でその土地になじみのなかった私にとって、そこで得られる情報やたわいもない会話はとてもありがたかった。当時、初めての子育てで手本となる大人が身近にいなかった私には、そこが母親になるためのリアルな教室だったのかもしれない。

しかし、楽しいことばかりではなかった。子供が小学校に上がったころから悩みは複雑になり、私たちママ友はいつも何かしらの問題を抱えていた。子供を置き去りにしてしまった彼女は、そのころ娘のひどい癇癪に頭を抱えていた。

子育ては精神的な密室

「置き去り」という言葉だけを聞けば、多くの人は、非常識で母性のかけらもないような母親を思い浮かべるかもしれない。しかし彼女は、いつも一生懸命子育てをしているごく普通の母親だ。朝から子供のためにグリルで魚を焼き、学校から帰ってきた娘たちの宿題を毎日丁寧に見てあげるような、むしろ理想的な母親と言ってもよい。

それなのに、彼女は癇癪がおさまらない子供を車に乗せて隣町まで行き、知らない公園に小学校低学年の娘を残してその場を去ったのだ。それから半日以上過ぎ、日が落ちて薄暗くなり始めたころ、彼女は思い直してその公園に戻った。同じ場所で砂をいじっていた娘を見つけ、何も考えずに駆け寄ったという。

母子密室の子育ては想像以上に過酷で壮絶だ。密室とは、精神的に逃げ場がないという意味だ。シングルマザーに限らず、夫がいても、両親がそばにいても、母と子の関係は密室となる。子供をきちんとしつけようとするほど、2人だけの関係は苦しくなり、外野を入れないその世界はやがていきづまる。私もその世界を知っている。

彼女が告白してくれたあの日、私は何と言っただろう。「私も同じ思いをしたことがあるから、そんなときはこうすればいいよ」と彼女の体験をあたかもわかっているかのように解決策を提案したような気がする。この日から、彼女は心にふたをしてしまった。それからもいつも通り一緒にいる機会はたくさんあったけれど、話はいつもうわべだけをさらさらと通り過ぎていくようになった。

最近メディアでよく取り上げられる、虐待をしたと言われる母親のニュースを目にするたび、心がざわざわする母親は日本にどれぐらいいるのだろう。私もその一人だ。

ただ、だれかがいてくれることの救い

私の娘は今年18歳を迎える。大きくなった。虐待をせずにすんだのは、決して私が立派な母親だったからではない。

今思えば子育てが大変で気が狂いそうなとき、いつもそこにだれかがいた。そのだれかは救世主のように助けてくれたわけでもなく、問題を解決してくれたわけでもない。ただそのときそこに、いてくれた。

泣き止まないまだ1歳の娘を私が怒鳴りつける声を聞いて、アパートの1階に住む女性がチャイムを鳴らし「大丈夫ですか?」と訪ねてくれた。癇癪を起こして暴れる娘を抱きかかえ、裸足で外に飛び出したとき、近所に住む優しいご夫婦が、怯えてそばに立っている下の子を自宅の庭で遊ばせてくれた。子育てがつらいと言ったとき、夫が共感してくれた。

でもそのころの私は、「だれも助けてくれない。私と代われる人はいないじゃないか。だれか正解を教えてよ!」と悲しんでいた。いや、イライラと怒っていた。でも今ならわかる。あのとき、いつもどこかでだれかが私を見てくれていた。小さな子供を連れた若い未熟な母親を、まったく関係ない人が日常生活の片隅に存在させてくれていた。そして見て見ぬふりなどしなかった。それが私の命綱だった。

私はママ友だった彼女に何を伝えられたのだろう。助けになるどころか、さらに孤立させてしまったのではないだろうか。絶対にそばにいるからと、あなたががんばっているのを知っているからと、ただそこにいて彼女の話にうなずくだけでよかった。私はあのとき、母親の仲間として一緒に踏ん張りたかった。そんな気持ちを伝えられなかったあの日を、今も後悔している。

月刊「PHP」最新号はこちら

定期購読はこちら(送料無料)