第66回PHP賞受賞作

佐伯菜奈実
兵庫県・学生・22歳

第1志望の会社に落ちた。3次面接だった。大学2年生の夏からインターンシップの有無を問い合わせたり、OG訪問をしたりと、中学生のときから入りたかった会社だった。終わったと思った。
不採用通知が届いた夜、どうでもよくなって、裸を見られる恥ずかしさもなくなって、1人で温泉に行った。露天風呂から三日月を見上げて、これからどうしようと途方に暮れたことは今でも覚えている。
パニックで、「いのちの電話」に電話した。しかし、電話がつながらない。平日の昼。働いている人が多そうなのに、こんなに悩んでいる人がいるのか。別の相談窓口でやっとつながり、少し落ち着いたがまだ不安が残る。
そこで見つけたのが、市のハローワークの心理カウンセリングであった。すぐに電話して、第1志望の3次面接に通っていれば受けていたはずの、最終面接の日に予約した。
気分はどん底である。どうせ、話を聞いてもらっても根本的な解決にはならないだろうと後ろ向きだったが、カウンセリングの人は私を変える考え方を教えてくれた。
「いつもコンビニはどこに寄ります?」
「行くとしたら、セブンイレブンです」
「そして、いつも何を買います?」
「水ですね」
「では、いつもは行かないコンビニで、いつもは買わないものを買ってください」
「え?」
「いつもとは違ちがう行動をすることで、思考の偏りをなくしていくんです」
おどろいた。いつもとは違う行動を起こすこと。私はこれまで自宅から大学までいつも同じ通学路を通り、コンビニで買うものや着る服は、以前も購入したことのあるものを買ったり、無難なものを選んだり、常に失敗しないような選択をしてきた。

新しい景色にわくわくした

いつもとは違うもの。カウンセリングが終わると、いつもなら寄るはずのないカフェに入ってみた。慣れない飲み物を注文し、教わったことをノートにまとめた。
窓の外を通るたくさんの人。カフェの中から見るビルや建物。初めて見る景色と雰囲気。普段の私だったら絶対に目にすることがない光景。何かが変わった気がした。
帰宅し、カウンセリングをもとに、5月の目標を立てた。
1.1日に1つ新しいことに挑戦する
2.ランニングをする
3.お会計のときにありがとうと言う
そして、表を作り、それぞれ達成できたら丸をつけるようにしていった。
まず一日一新を心がけた。これまでの3年間は何をしていたんだろうと思うほど、さまざまな新しいことに挑戦した。
たとえば、今までは肉料理ばかり作っていたが、スーパーの海鮮コーナーにも目を向け、鯖の竜田揚げに挑戦した。いつもは電車で帰るところを、バスならどんな景色が見えるだろうと、バスに乗ってみた。今まで直帰していたアルバイトからの帰り道、コンビニに寄っていつもは買わないスムージーを買ったり、演奏会に行ったりした。案外、新しいことをしても大きな失敗はないことを学び、今までとは違う景色、感覚、視点にわくわくした。
夜の時間帯にランニングをしてみると、夜でも学生が飲食店に長い列を作っていたり、マクドナルドでハンバーガーを食べていたり、街の看板がきれいなネオンで辺りを照らしていたり、自分の家の外で社会は動いているんだと新しい感覚を得られた。そして、買い物後には声に出してお礼を言うようにした。
次々行動していくうちに、心と体が成長したような気がした。5月の目標3つは、ほぼ丸がついた。

失敗から生まれた出会い

そのあと紆余曲折を経て、ようやく志望業界の会社の最終面接に進んだ。これまでは、「自分なんか」という自信のなさが出た面接になっていた。しかし、3つの目標と、新しい試みを積み重ねた私は今までとは違う。これまでの道のりを話し、内定をいただけた。
第1志望の会社に落ちたときは、もう終わりだと思っていた。しかし、落ちたからこそ、私を変えたカウンセリングの人に出会えたと思うと、「人間万事塞翁が馬」。この出会いは、私の思考の偏りに気づかせてくれた。また、大きな失敗があっても、なんとか自分の体を使って行動を起こしていけば、新たな道が開けることを実感した。
いつもは通らない道。いつもは選ばない服。いつもは行かない場所。うまくいかないときは、いつもと違う行動をする。
カウンセリングの人が教えてくれたこの考え方は、私が歳をとっても心の中に残っているだろう。

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