第68回PHP賞受賞作

進藤 拓

愛知県・会社員・45歳

時は平成4年、世間の中学校では「男は坊主刈り」などの校則がどんどん消えていった、そんなころのことだ。「校内に自由を」などと生徒会が謳い、先生も管理教育をどう変えていくか模索していた。僕は中学2年生だった。

夏の林間学校の説明会があった。当時は男女で別の日に別の場所へ行くのが普通だったから、男子だけの林間学校だ。生徒会で、ゲームボーイを持って行っていいようにしてほしい、と要望があった。生徒に人気のあった先生たちが、それくらいはいいじゃないか、と言い出し、林間学校へゲームボーイを持ち込むことが許可された。ゲームボーイというのは当時流行った携帯式のゲーム機で、男子ならば大抵だれでも持っていた。

「林間学校は、木々や自然に親しむべき活動でしょう? ゲームはよくないんやない?」僕は反対意見を出した。しかし、男子はみなブーイング。先生も黙認した。僕は黙って席に着いた。......実は僕は、ゲームボーイを持っていなかったのだ。

いざ林間学校が始まり、自然豊かな渓谷を遡って、バスは山奥のキャンプ場に着いた。行動のしおりには、飯盒炊爨のあと、里山散策とあった。みんなでわいわいとカレーライスを作って食べて、里山散策の時間になったが、だれも動こうとしない。テントの中で、銘々が座り込んで、ゲームボーイを始めた。ああ、これが嫌だったのだ。だからゲームボーイなんか嫌だったのだ。

担任の先生に言った。「里山散策はどうするんですか? こんなことだから、ゲームボーイなんか嫌だったんですよ」「ごめんね、進藤くん。これはよくなかったね」。先生はそう言いながら、自分もゲームボーイを持ってきていたのだった。「僕、一人でそこらへんを歩いてきますから」。僕はテントを出て、川沿いを歩き始めた。心は曇っていた。

母に、ゲームボーイがほしいと言ったとき、朝も夜もなく暗い部屋でミシンを踏んでちいさな袋作りをしている母は、ミシンの手をゆるめることなく「金がどこにあるんじゃ。お前が働くようになったら、どれだけでも買え」と言った。ゲームボーイを買うとしたら、母がこれ以上どれだけ働かなければならないのかを考えると、僕は黙り込んだ。

「俺も歩いてみたかったんや」

渓流のさわやかな音に誘われて滝を見ていると、うしろから声をかけられた。「たっくん。きれいな滝やないか」。同じクラスのタケヒデくんだった。どうしたのだろうか。

「タケヒデくんやないか。ゲームしとったんやないの?」「俺も歩いてみたかったん」。タケヒデくんが歩き始めたので、僕も横に並んだ。さわやかな風が吹いていく。「タケヒデくん、ひょっとして僕だけゲーム持ってないから気にしてくれとるん? そやったら、もう戻ってくれてええんやよ」。僕がふてぶてしく言うと、タケヒデくんは立ち止まって川を見た。

「これ、ワサビやよ。たっくん知ってるか? ワサビ田。水がきれいな証拠やね」「ワサビなんやね。知らんかったけど......なあ、タケヒデくん。僕のこと気にしとるんやったら......」。タケヒデくんはかぶせるように言った。そして微笑んだ。「俺、ゲーム忘れたんさ。せやから、俺も暇でな。一緒に歩けてよかったよ」。

「そうなん? 忘れたん? 僕、ゲーム持ってないから、どうしようかと思ったんやけどさ、よかったよ」。僕はうれしくて、タケヒデくんに笑顔を向けた。それから2人で山道を散歩し、結果として楽しい林間学校になった。

僕のために嘘をついてくれた

それから6年、成人式でタケヒデくんに再会した。彼は大学生、僕はもう就職していた。「林間学校のとき、一緒に歩いて楽しかったなぁ」。なつかしんで言うと、タケヒデくんがしみじみと言った。

「今だから言うけどさ、あのとき、俺わざとゲーム持って行かんかったんや。たっくんが持ってないこと知ってたし。たっくんがキャンプ場で嫌な思いするんやないか思って。あのとき嘘ついてかんにんな。かんにん、たっくん」

「......ありがとう。タケヒデくん、謝らんといて......ありがとう」。僕はそのとき、弱い立場の人間に寄り添うことが自然にできたタケヒデくんという人を、心の底から尊敬した。また、自分も弱い立場の人に遭遇したら、タケヒデくんのような行動をとりたいと思った。

タケヒデくんはその後教師になった。今も年に数回会い、親交を深めている。

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