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Sunao Mind

素直な心とは、松下幸之助によれば、何でも素直に受け入れる従順な心の意ではなく、偏見や私心にとらわれず、曇りのない心のことです。松下は晩年にいたるまで、その意味での素直な心に近づくことを心がけた人物でした。
松下が素直な心を重視した理由として、たとえば、企業経営における決断や判断があげられます。松下は生前、松下電器(現パナソニック)という大企業を経営しており、自分自身の決断や判断が正しくないと、多くの社員の生活に影響を与える可能性がありました。しかし松下もまた、一人の人間であることに変わりはなく、ともすれば偏った情報や私利私欲、先入観などにとらわれて誤った決断や判断を下してしまうことになりかねません。松下は決してそうしたことのなきよう、自分の心は何かにとらわれていないか、素直な心であるのか、自問自答することを習慣にしていたといいます。
逆に「素直な心はあなたを強く正しく聡明にします」と述べ、素直な心になることで困難に処する力になるとも強調しました。
「素直な心とは私心なく曇りのない心といいますか、一つのことにとらわれずに物事をあるがままに見ようとする心なのです。
そういう心からは物事の実相をつかむ力が生まれてきますし、それにもとづいて、なすべきことをなし、なすべきでないことを排する勇気というものも湧いてきます」
The First Step

ただし、このように語っている松下ですら、素直な心は「神の心」であるとも述べ、厳密な意味において、素直な心になることは困難であるとしました。とはいえ、素直な心に「近づく」ことはできるとし、松下はそのことに日々努めたそうです。松下によると、碁を1万回打つことで初段の実力がつくように、1万日、素直な心になろうと強く願うことでようやく「素直な心の初段」になれるといいます。
松下が素直な心に近づこうとする過程でとりわけ取り組んだのは、自己観照です。自己観照とは、客観的に自分の心を認識することです。
「どうすれば自分自身にとらわれない素直な心になれるのかといえば、その一つとして“自己観照”を心がけたらどうかと思います。これは、いわば自分の心をいったん外に出して、その出した心で自分自身を眺め返してみる、つまり客観的に自分で自分を観察することを心がけたらどうかということです。(中略)この自己観照は、とらわれのない素直な心を生むことに通じますし、その素直な心をしだいに高めて、つねにものの実相を正しくつかむことができるようにもなると思います」
松下がこれほど素直な心を重視したのは、一方で、人間個々人の知識や知恵を信頼しすぎるのは危ういという考え方がありました。
Collective Wisdom
衆知を集めて、人と組織、社会に繁栄をもたらそう。

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